2009/12/19

♪飾りじゃないのよ統計は、はっはーん

「研究には統計が必要だ!」
「時代の流れだ!」「実証研究だ!」
「査読者にt検定をやれと言われた!」

などなど、様々な理由で、台湾の日本語研究の世界では統計が必要とされているんだそうです。

それで、私ごときが統計の質問に偉そうに答えるハメになるのですが、
どうもいまひとつスッキリしません。

質問しにくる方の中には、明らかに「真剣に理解しようとされる方」がいらっしゃいます。
そういう方にはよろこんでお手伝いさせていただいています。
が、努力しないで、何とか自分の研究に間に合わせようとしたり、
私に分析の一切をやらせようとしたりする人もいます。

お手伝いするのは構いません。(本当は忙しいからイヤだけど)
でも、こういう人が多くて困っています。
1) データを取ってから相談に来る人
2) 私の都合を考えてくれない人
3) 説明しても理解しようとせず、「難しい」と文句を言う人

中にはちょっとイヤな人もいて、
1) 何かの質問を私にする
2) 私の説明をまじめにフンフンと聞いて私を褒める:「さすがはKikukさん!」
(でもたぶん目的は私を褒めることで、理解することではない)
3) それで最終的にはその質問とはあまり関係のない自分の分析を押しつけようとする

まあイヤな人の目的というのは
「統計を自分の論文のアクセサリーにする」ことだと思います。
自分の研究に自信がないので、せめて数字でページ数を増やしてごまかそう、
ってことだと思います。

でも、自信のない論文は、数字があってもなくても同じでしょう。
逆に、統計なんか使っていなくても、有意義な研究なんてたくさんあります。
推計学を使用する研究など、言語研究、言語教育研究の数々の方法の、
ほんの1部でしかありません。

それが必要以上にクローズアップされ、
重要視されることに大変な違和感を覚えます。
自分が統計ができないのに「統計を使え」という査読者にも、
自分が統計ができるから「統計を使え」という査読者にも、
違和感を感じます。

「時代の流れなんだよ!」
という声も聞きますが、何ですか?時代の流れって?
何の脈絡もなく「t検定やりましたー」っていうのが今の流行なのですか?
今の流行だから、私があなたの代りに分析をしなければならないだなんて、
私にとっては何のメリットもない話です。

#私がとても(気に入っている|尊敬している)人は別です、手伝います!
#っていうか、手伝わせてください!

今、私の所属している博士課程に「統計の授業を設けよう」というような話も出ているそうです。
でも、博士課程で勉強することではないような気がするので、これにも違和感。
ちょっと話を聞いただけで、すぐに使えるようには絶対ならないし。

(なぜか、半年とか1年間講義を聞けば使えるだろうと考えられているようで、
不思議でしかたがないのですが)

統計使いたい人は、調査法なり実験法なりを心理学とか社会学の学部の授業で聴講して、
実際にデータを集めて計算してみて、じっくり身につければいいんです。
それができなければ、誰かにごはんをごちそうしてやってもらうか、
統計の使用をしなくてもいい研究をすればいいんです。

と思うのですが、時代遅れですか?

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